"the Akasakan diary"    ~リトル君の赤坂日記

●キム・ギドク。映画監督

 「魚と寝る女」「悪い男」を観た。

 彼は「韓国の北野武」と呼ばれているそうだ。なるほど、共通点はある。暴力的描写。感覚的映像。極端に少ない主役のセリフ。特に北野監督の初期作品、「その男、凶暴につき」「ソナチネ」に近いものがあるという評価なのだろう。
 また彼は映画監督になるまで、映画の勉強をしたことが無かったそうだ。高校を出ると工場で働き、軍隊で5年を過ごし、非常に居心地が良かったにもかかわらず軍を除隊し、夢を追って片道切符でパリへ絵の勉強に行く。そこで映画に出会い、帰国してから脚本を書き始める。そしていきなり監督。助監督の経験も一切無い。なんとなく安藤忠雄を連想させる。
 そういった点が、彼をして韓国映画界の異端児と言わしめ、国内の一部や海外で高い評価を受けながら興行的な成功とは結びつかず、低予算のアート系監督の地位に留まらせている要因だろう。しかし、映像作家としての才能は疑いようも無い

 彼の作品を頭(理性)で理解しようとしてはいけない。初めからありえない世界を描いているから理性が許容できるわけが無い。そして彼もそんなことをまったく望んでいない。だから、台本の合理性にケチをつけても、それは彼の作品の評価に(良くも悪くも)まったくならないし、彼について何も語ったことにはならない。つまり、上記2作品に共通しているのは、非常に強烈な寓話性である。この寓話性により彼の作品は強いメッセージ性を与えられ、その他凡百の「きれいな絵をとる」作家たちによる、映画と称する無残なイメージビデオの類と明確な一線を画すことになるのである。言いかえれば、寓話の中でこそ、彼のメッセージは明解な像を結ぶ。そして、彼の紡ぎだす美しい映像が芸術性を高める重要な要素となっていることはもちろんである。

 「魚と寝る女」は、まず冒頭の状況設定、中でも幻想的な湖の描写でこの世界が現実世界と隔絶した異世界であることを強烈に主張し、なまめかしくも強引に観るものを引きずり込んで行く(あたかも劇中の女主人が男を誘い込むように)。まず明確にしておこう。これは現代版「砂の女」だ。片や水のまったく無い砂だけの世界。片や滴るような水にあふれた世界。完全な対照世界だが、そこに棲む女の正体は同じだ。男たちは蟻地獄に堕ちた蟻よろしく、一度引きずり込まれたら抜け出すことは出来ない。男たちは女の子宮(砂丘あるいは湖)へと吸い込まれてゆく。映画の中で女は最後まで一言もしゃべらない。しかし、彼女の棲む世界と彼女の全身が、激しく、悲しく、切なく、なまめかしく語り続ける。それがキム・ギドクの言語だ。それはこの世のものではない、異世界のものである。が、まぎれもない「愛」であることが伝わってくる。ただ一点、エンディングの曲にどうしても違和感が残った。それ以外は非常に素晴らしい。

 逆に「悪い男」では、セリフをしゃべらず、愛を捧げるのは男の方である。そして現代の都市(ソウル)で話は展開する。しかし、寓話であることは一貫している。こちらでは、男が暴力的に、理不尽に、容赦なく、女を堕落の底へと突き落としてゆく。そして、社会の底辺に蠢く暗がりの中で、ライターの炎のようにゆらめく愛を灯す。この映画を単なる性倒錯者の偏愛を描いたものであるとする評価があるらしいが、彼の、寓話の中で語られる言語を読み取っていないのである。確かに設定は異常であり、出てくる男も女もまともではないかもしれない。しかし、だから何だというのだ。リアリティーが無いから嘘だというのか。ありえないから偽者だというのか。違う。彼は最初からリアリティーを放棄している。彼は自身の作り上げた異世界の中で、自身の作り出した言語で男と女を表現しているのである。そこには真実がある。見た目のリアリティーを主張する安っぽい偽者よりも、千倍も万倍も美しい、切ない、純度の高い愛を語っている。音楽については、メインテーマの曲が非常に良い。ちなみにどうでもいいことだが、主演のチョ・ジェヒョンはキム・ギドクの常連であるが「8マイル」のエミネムに似ている。ソ・ウォンはこれが映画2作目だが、熱演。観月ありさ似か。こちらも一点、なんでチョに一箇所だけセリフを与えたのだろうかという疑問が残った。

 避けて通れないのは彼の暴力的描写についてである。これをそのまま受け取ると残酷さやおぞましさに引きずられて彼の言葉が理解できなくなる。つまりはこれもまた寓話の産物なのだ。彼の作品に繰り返し出てくる痛み、マゾヒズム。そして汚ならしさ、おぞましさ。しかし、それらが寓話的設定の中で逆に感情の純粋さを際立たせる効果を生んでいるのだ。これはおそらく意図的なものではなく、彼の生理的な表現手法なのだろう。ありえない世界であるからこそ、ありえない表現、ありえない描写が違和感無く存在でき、それらは人間がその奥底に隠し持っている本能的な残酷さ、情愛の本質である激しさ、底知れない深さ、美しさをえぐり出すのだ。私たちが日常の社会生活の中では決してさらけ出すことの無い心の底の闇。彼は汚物にまみれたどぶをさらって、そこから一粒の真珠をとりだしてみせる。これは並の才能で出来ることではない。

 何と素直な監督だろうと思う。アート系といわれ、客が入らないため低予算。はっきりと分かれる評価。無理も無い。しかし、この2作品を見る限り、彼は自分の言葉に自信を持っている。他の作品を観てみたいと思う。自分が彼の経歴に勇気付けられているのも事実である。

 でも正直のところ観たくないという気持ちもある。これを嫉妬心という。
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by redhills | 2005-01-18 04:57 | 映画
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赤坂日記・・・赤坂在住の"Akasakan" リトルが、東京のへそで日々の思いを綴る。
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