●パッチギ! その3-井筒監督トークショー②(引き続きネタバレ注意!)
康介はなぜ答えられないのか。
だってそれは、若いから。そして何も知らないから。ただかわいいから、きれいだから、好きになった女の子に付き合ってくれと言っただけの康介にとって(もちろんそのことは康介にとっては一大事だったのだが)、朝鮮人だとか日本人だとかなんてまったく考慮の外なんだから、そんなこと急に言われたって答えられるわけが無い。確かに朝鮮学校と彼のいる東高は仲が悪いが、彼自身はケンカには縁遠く、朝鮮人に特定の感情を抱いているわけでもない。女の子とヤレるという理由でマッシュルームカットにするようなカルいノリの軟弱高校生だ。そんな彼にとって、「朝鮮人になる」なんてことはまるで想像の範囲外だったろう。 逆にキョンジャにとっては、それ、つまり「朝鮮人である」ということは生きていくうえで常に「強制的に」意識させられてきたことであり、彼女にとっては、「生きていく」ことと「朝鮮人である」こととは同義なのだ。彼女から「朝鮮」を取ったら、それは死と同じであり、「朝鮮」なくして彼女は存在し得ない。そんな彼女からしたら、付き合う人は朝鮮人以外には想像も出来なかっただろうし、朝鮮人と結婚して朝鮮人としての人生を生きていくという生き方しか彼女の頭の中にはなかっただろう。だから、日本人である康介に結婚したら朝鮮人になってくれるのか、と聞かずにいられなかったのだ。もちろん、そう訊ねたのは康介を避けたいがためではなく、好意を持っていたからこそ、康介の思いに真剣に向き合うべきだと思ったからこそ自然に出た言葉なのだが、康介は答えられない。 ここに象徴される、両者(康介とキョンジャ、そして日本人と在日朝鮮人)の間に横たわる河は深い。このシーンが川でのシーンであることはもちろん、監督の意思である。監督は、この映画のテーマソングである「イムジン河」に、南北朝鮮分断の悲しみだけでなく、日本人と在日朝鮮人との意識の間にある埋めがたいズレをもダブらせている。 キョンジャとのやり取りでは何のリアクションも取れなかった康介だが、やがてその感情を爆発させるときが来る。親友となり、ギターを教えてくれよと言っていた、同い年のチェドキが事故で死ぬ。日本人として唯一人葬儀に参列しようとした康介だったが、チェドキの親族からきっぱりと拒絶される。「あんた、在日について何を知っているんだ?何も知らんだろう!出て行け!!・・・出て行ってくれ」。 何も知らない。それはどうしようもない真実だった。康介は一言も反論することが出来ずにチェドキの粗末なバラックを出る。激しいジレンマの中で声をかけることもできず、ただ目に涙をためて康介を見つめることしかできないキョンジャ。そして、帰り道の途中、康介は、一度は「イムジン河」を歌うことで在日の人たちと自分を結びつけた大切なギターを、泣き叫びながら叩き壊し、川に投げ捨てる。この場面が先ほどと同じ川でのシーンであることで、しっかりと前後がつながる。悔しかったろう。悲しかったろう。自分の無力、無知を知ったろう。それを僕ら観客は知らなければならない。 結局、彼には歌うことしかできない。だから彼はラジオで「イムジン河」を歌う(葬儀の当日にディレクターから出演を依頼されていたのであった)。ラジオから流れてきたその歌声を聴き、泣きながらラジオを手に、悲しみに沈むチェドキのバラックへと走るキョンジャ。康介の歌う「イムジン河」が狭いバラックを満たす。その歌声は彼らの魂を慰め、康介の思いはチェドキと在日の人々へと届いた。 ここに僕らは希望を見出す。溝は深い。悲しみ、憎しみ、怒りは深い。でもそれを乗り越えることは出来るはずだ。監督はそういいたいのだ。そう、それこそが「パッチギ=乗り越える、突き破る」なのだ。ここにこの映画のテーマがある。 もう1人の主人公といえる在日朝鮮人のアリソンも、乗り越えよう、突き破ろうともがく。弟分であるチェドキの死を乗り越えるため、親友であるバンホーとともに、彼が死ぬきっかけを作った東高空手部との弔い合戦へと向かう。彼にはそれしかチェドキに応えるすべが無い。朝鮮と日本、両者はまたしても川を挟んで向き合い、やがて決戦へと突入する。しかし意外なところに救いはあった。看護婦となったガンジャが、彼の別れた元の恋人である桃子の出産が近いことを告げる。ケンカを抜け出して病院へと走るアリソン。新しい命の誕生。彼もまた希望を得、何かを乗り越えていく。 ・・・あれ、いつの間にかトークショーが吹っ飛んじゃいましたが、まぁ、井筒監督の言いたいことと、そう違いはないと思っております。 未来に何の希望も見出せない在日朝鮮人の若者と、未来に不安も無い代わりに願望もない日本人の若者。同じ土地に生きながらまったく違う世界で生きる両者が、それぞれに立ちはだかる何かを「パッチギ」、成長してゆく。いつの日か彼らが河を渡れる日が来ることを祈ろう、そんな気にさせる作品だ。 トークショー後、受付付近で監督がサインに応じていたので、ミーハーな僕はすかさずパンフを買い求め、サインをもらった。サインをしながら「みんなに薦めてくださいよ」と監督。「はい、もちろん!」と調子のいい僕。だからというわけじゃないけれど、いい映画ですからみなさん、見ましょう! 監督、宣伝しましたよぉ! これでいいですか? (って、見てるわけねーじゃん)
by redhills
| 2005-02-27 02:37
| 映画
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