●「デビルマン」体験記(序)-マンガ「デビルマン」-
3月21日。ついに私は決心をし「デビルマン」体験ツアーを決行した(事情が分からないかたはこちらをご参照)。迷っていた私にとっての心強い同志であるツアー同行者は2人。「最悪の2時間」を金を払ってまで一緒に過ごそうというその奇特な輩とは私の姉貴とそのダンナ。ちなみに、高校と中学の甥っ子どもは棄権を申し入れてきた。うむ。やむを得まい。何しろ相手は「デビルマン」だ。ハンパな気持ちで見て彼らのトラウマになってはいけない。耐性の無い場合、下手をすると人間でいられなくなるおそれもある非常に危険なツアーなのだ。3人寄れば文殊の知恵ともいう。ここはオトナ3人で臨むのが妥当であろう。
おっと! ここですぐに私の体験した驚異と驚愕と悲嘆と憤怒と虚無感の入り混じった2時間について述べてもよいのだが、その前にやはり、その私の思いをよりリアルに感じていただくために、原作であるマンガ「デビルマン」について述べておくべきだと思う。というか、単に書きたいんで書く。 マンガ「デビルマン」は、週刊少年マガジンに1972年6月11日号から翌1973年6月24日号まで、約1年間にわたって連載された。作者の永井豪氏は当時「ハレンチ学園」の大ヒットにより、日本で最もPTAに睨まれると同時に最も次回作に期待のかかるマンガ家であったが、「デビルマン」は、学園ギャグマンガで人気の頂点にあった氏が初めて挑戦したストーリーマンガであった。講談社をはじめとする周りの期待も大変なもので、テレビアニメ化が企画段階から決定していた(というよりこちらが先だったようだ)。マンガとテレビアニメが同時に進行するということで宣伝効果も抜群であり、連載開始前から大変な注目を集めていた。 マンガ家として一気にブレイクした永井氏が、あえて未体験のジャンルへと挑戦した「デビルマン」は当然気合の入った作品であったが、それは連載を重ねていくとともに、読者やスタッフ、そしておそらくは永井氏本人の予想をも超えた展開を見せ、日本マンガ史に燦然と輝く傑作となった。 なにしろ、コミックは全5巻なのだが、なんと、1巻の終わりまででたったの1日しか時間が経過していないのだ! まるまる1巻使って、デビルマン誕生までが語られるこの1巻だけでも永井氏の驚異的なストーリーテリングが十分に堪能できる。簡単にそのすごさを考えてみる。 「デビルマン」の最も素晴らしいのは、その基本設定、テーマであろう。神とは何か、悪魔とは何か、そして、人間とは何か。もちろんこれは普遍的テーマなのだが、氏にかかると、神と悪魔の固定観念が揺らぐのである。 こういった作品はどうしても話が荒唐無稽にならざるを得ない。だから普通の話よりも余計に「なぜ」そうなってしまったのか? という必然性の部分がしっかりしていないと読者がついていけなくなるのだが、この点についても「デビルマン」は素晴らしい。第1巻のほとんどを使って、なぜ不動明(主人公の高校生)がデビルマンにならざるを得なかったのかが語られるのだが、これが最高にシビレル! 彼は親友の飛鳥了(歌手ではない)から、悪魔とは想像上の存在ではなく実在しており、今や彼らは永い冬眠から覚め、かつて自らが支配していた地球を人間たちから取り返すために戦いを挑んでくるという衝撃の事実を知らされる。絶望する不動に飛鳥は、驚異的な能力を有する彼らデーモン族と戦うには人間は弱すぎるが、たった一つだけ、戦う術があると言う。そこで不動は飛鳥の命がけの頼みを受入れ、彼と共に、そのたった一つの方法、デーモンと合体し、人間でありながら悪魔でもある存在、デビルマンとなることを決意する。しかしそれは簡単なことではなかった。デーモンと合体するためには理性を捨てなければならないのだが、同時に強い良心を持つ者でなければ心を乗っ取られてしまうのだ。デビルマンになるためには、理性を捨てつつ、良心を失ってはならないのである。そんなことが果たして可能なのか。何の確信もないまま、彼らはサバトといわれる狂乱パーティーで踊り狂いながら麻薬入りの酒をあおる。理性を捨てるために! 悪魔と合体するために! ここで不動はふと疑問に思う。ひょっとして、デーモンが憑依するのは俺たちだけではないんじゃないかと。飛鳥はニヤリと笑いながら言う。そう、その通りだ。ここで踊っている彼らもデーモンと合体するだろう。そして彼らは間違いなく乗っ取られる。つまりはデーモンとなるのだ。驚く不動。え!?じゃあ・・・。飛鳥は言う。そう、俺たちは万が一デビルマンになれたとしても、まず初めにここにいるだろうデーモンたちを殺さなければ生き残れないのだ! ということは了、敵だらけの中なのか、俺たちは! ひるむ不動に飛鳥は畳み掛けるように言う。不動、俺たちは人類を、地球を守るためにデビルマンになるんだろう? だったらこれくらいのことが出来なくてどうするんだ! 何と言うシチュエーションだろう!不動も飛鳥もただの高校生であり、もちろん、人一人殺したことなどない。それが、いきなり人間であることを捨てて悪魔と合体する必要に迫られる。しかもである。デーモンと合体できるのか、同時に人間の心を失わずにいられるのか、それさえも定かでないのに、運よくデビルマンになれたとしても、まず、いの一番にまわりの何十人と言う人間たち(を乗っ取ったデーモン)を殺戮しないと生き残れない、つまり決死の行動が無意味となってしまう・・・。こんな異常なシチュエーション、もちろん非現実的なのだが、読んでいてもまったく違和感は感じない。永井氏の筆の力がすべてをねじ伏せてしまう。この、二人の置かれた究極の状況設定は奇跡としか言いようがない。 そして、不動はデビルマンとなり、デーモンと戦うことになる。ここまでが1巻。たったの1日のお話である。しかし読者には強烈な体験をする。 2巻以降、デーモン達との死闘が続いていくのであるが、なぜかデビルマンにもならずに生き残った飛鳥了を語り部としつつ、物語は少しづつテーマ性を深め、人間の真実の姿を暴いていく。驚くべきことに、この驚異的なエネルギーを持った連載マンガは何と1回も休載していない。永井氏の筆はもう自由自在であり(実際のところ、途中からは自動筆記のような感覚で執筆していたらしい)、その凄まじい描写は今見ても鳥肌が立つ。人間を守るために人間であることを捨てたデビルマンが人間に裏切られていくさま、絶望の中で彼が気付いた、たった一つの守るべきものが人間たちによって虫けらのように蹂躙される戦慄の場面、そして、その○○を抱いて鬼の形相で去っていくデビルマン。まさに阿鼻叫喚、人間の負の側面を描き尽して余すところが無い。そして、ハルマゲドンから感動と驚愕のラストへ。チョーかたるしす!! まったく。これが30年以上前に小学生が読むマンガとして連載されたということが奇跡だ。まだ読んでいないという方がいたら、是非読んで欲しい。ただし、豪華愛蔵版や文庫新版は後から永井氏が加筆訂正してしまっている。まぁ、最初の太古の地球の場面とか、新デビルマンとか、どうでもいいものばかり付け足されているので、そこを無視して読めばいいのだが、できればオリジナル版が良い。 改めて思う。ああ、僕だったら、デビルマン誕生までで1本の映画にして、とにかく、今ここに書いたシチュエーションの凄さ、不動と飛鳥の究極の人間ドラマを中心にする。続いて、娯楽性を重視し、アクション全開でシレーヌやジンメンとの戦いを中心とする死闘編。そして、深いテーマ性を持ち、自滅する人類とハルマゲドンを描く完結編。なんだ、完全なトリロジーじゃないか!どう考えてもこれがベストなのに! なのにどうして映画「デビルマン」は!!! ということで、3月21日の新宿駅から話は始まる。
by redhills
| 2005-05-18 05:50
| 映画
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