思い出の10・19
何か書かなくては、と思ってふと日付を見ると10月19日である。
最初からくだらない話で恐縮だが、10・19と言えばあのロッテ-近鉄のダブルヘッダーを思い出さずにいられない。画面で見てもあの川崎球場の熱気は異様だった。 当時の私は(なんと!)近鉄ファンであった。 関西出身でもないのでなんで、と誰に言っても首を捻られたが理由は簡単で、見ていて一番おもしろい野球をしていたからであるが、そう説明しても納得してくれる人は少なかったが、当の本人はわかってくれようがくれまいがまあ、どうでもよかった。 とにかく、それを一言で言えば「大味」ということになるけれども、ダイナミックで豪快な戦い振りは他のチームとはちがう空気を漂わせていた。 3回までに0対5なんてのはよくあることだったが、終わってみれば11対10で勝っている、そんなことも同じくらいよく起こっていた。とにかく、近鉄と言う球団には他にはない面白みがあった。 大石がいて、佐々木がいて、金村がいて、鈴木や村上がいて、ブライアントが西武とのダブルヘッダーで4打席連続ホームランをかっとばしたりして、楽しかった。 投げては阿波野の全盛時代であり、野茂はまだいなかった。 12球団で唯一日本一になっていない球団であり、当時でもまだ広島カープとの、というより江夏豊との対決はことあるごとに語られていた。 1988年当時監督は仰木彬であり、常勝軍団西武ライオンズとの熾烈なデッドヒートは西武が130試合を終えても順位が確定せず、ペナントは川崎球場でのロッテ-近鉄のダブルヘッダーの結果次第となった。 ゲーム差は0.5。もし近鉄が連勝すればもちろん優勝だが、それ以外の場合は、引き分けの多い西武が勝率で上回る。近鉄は2連勝しかなかった。 第1試合、リードされる苦しい展開だったが、終盤に追いつく。そして逆転してまずは1勝。阿波野が急遽リリーフして9階裏のピンチを防ぐ。 第2試合もリードされたが逆転した。しかし高沢のホームランで追いつかれてしまう。 そして9回裏のロッテの攻撃のとき、有藤監督が判定に抗議、試合が中断してしまう。当時は時間制限があってあと数分中断が長引いていたらそのまま延長戦には入らなかったはずだった。しかし、何とか10回の攻防に入った。 引き分けでも優勝できない近鉄はこの表の攻撃で点を取るしかなかったのだが、できなかった。 この瞬間、西武の優勝が決まったわけだが、試合はまだ終わっていなかった。 10回裏のロッテの攻撃。優勝できないのがわかっていながら守備につく近鉄ナイン。川崎球場を埋めた近鉄ファンはその姿に心打たれた。それは誇り高き敗者、レスペクタブル・ルーザーであった。 自分はあの時川崎球場にはいなかった。なぜだったかは覚えていない。しかし、何とかテレ朝の中継は見た。いつもの豪快な野球ではなかったが、ドラマティックな筋書きは今まで見た中で最高だった。負けたのに興奮が冷めなかった。 その近鉄が消滅する。自分もしばらく前から近鉄ファンとはいえなくなっている。 はからずも、今年の日本シリーズはあの年と同じ、中日対西武の顔合わせだ。
by redhills
| 2004-10-19 20:21
| 野球
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