"the Akasakan diary"    ~リトル君の赤坂日記

2005年 02月 27日 ( 3 )

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by redhills | 2005-02-27 04:32

●パッチギ! その3-井筒監督トークショー②(引き続きネタバレ注意!)

 康介はなぜ答えられないのか

 だってそれは、若いから。そして何も知らないから。ただかわいいから、きれいだから、好きになった女の子に付き合ってくれと言っただけの康介にとって(もちろんそのことは康介にとっては一大事だったのだが)、朝鮮人だとか日本人だとかなんてまったく考慮の外なんだから、そんなこと急に言われたって答えられるわけが無い。確かに朝鮮学校と彼のいる東高は仲が悪いが、彼自身はケンカには縁遠く、朝鮮人に特定の感情を抱いているわけでもない。女の子とヤレるという理由でマッシュルームカットにするようなカルいノリの軟弱高校生だ。そんな彼にとって、「朝鮮人になる」なんてことはまるで想像の範囲外だったろう。

 逆にキョンジャにとっては、それ、つまり「朝鮮人である」ということは生きていくうえで常に「強制的に」意識させられてきたことであり、彼女にとっては、「生きていく」ことと「朝鮮人である」こととは同義なのだ。彼女から「朝鮮」を取ったら、それは死と同じであり、「朝鮮」なくして彼女は存在し得ない。そんな彼女からしたら、付き合う人は朝鮮人以外には想像も出来なかっただろうし、朝鮮人と結婚して朝鮮人としての人生を生きていくという生き方しか彼女の頭の中にはなかっただろう。だから、日本人である康介に結婚したら朝鮮人になってくれるのか、と聞かずにいられなかったのだ。もちろん、そう訊ねたのは康介を避けたいがためではなく、好意を持っていたからこそ、康介の思いに真剣に向き合うべきだと思ったからこそ自然に出た言葉なのだが、康介は答えられない。

 ここに象徴される、両者(康介とキョンジャ、そして日本人と在日朝鮮人)の間に横たわる河は深い。このシーンが川でのシーンであることはもちろん、監督の意思である。監督は、この映画のテーマソングである「イムジン河」に、南北朝鮮分断の悲しみだけでなく、日本人と在日朝鮮人との意識の間にある埋めがたいズレをもダブらせている。
 
 キョンジャとのやり取りでは何のリアクションも取れなかった康介だが、やがてその感情を爆発させるときが来る。親友となり、ギターを教えてくれよと言っていた、同い年のチェドキが事故で死ぬ。日本人として唯一人葬儀に参列しようとした康介だったが、チェドキの親族からきっぱりと拒絶される。「あんた、在日について何を知っているんだ?何も知らんだろう!出て行け!!・・・出て行ってくれ」。
 何も知らない。それはどうしようもない真実だった。康介は一言も反論することが出来ずにチェドキの粗末なバラックを出る。激しいジレンマの中で声をかけることもできず、ただ目に涙をためて康介を見つめることしかできないキョンジャ。そして、帰り道の途中、康介は、一度は「イムジン河」を歌うことで在日の人たちと自分を結びつけた大切なギターを、泣き叫びながら叩き壊し、川に投げ捨てる。この場面が先ほどと同じ川でのシーンであることで、しっかりと前後がつながる。悔しかったろう。悲しかったろう。自分の無力、無知を知ったろう。それを僕ら観客は知らなければならない

 結局、彼には歌うことしかできない。だから彼はラジオで「イムジン河」を歌う(葬儀の当日にディレクターから出演を依頼されていたのであった)。ラジオから流れてきたその歌声を聴き、泣きながらラジオを手に、悲しみに沈むチェドキのバラックへと走るキョンジャ。康介の歌う「イムジン河」が狭いバラックを満たす。その歌声は彼らの魂を慰め、康介の思いはチェドキと在日の人々へと届いた。
 ここに僕らは希望を見出す。溝は深い。悲しみ、憎しみ、怒りは深い。でもそれを乗り越えることは出来るはずだ。監督はそういいたいのだ。そう、それこそが「パッチギ=乗り越える、突き破る」なのだ。ここにこの映画のテーマがある。

 もう1人の主人公といえる在日朝鮮人のアリソンも、乗り越えよう、突き破ろうともがく。弟分であるチェドキの死を乗り越えるため、親友であるバンホーとともに、彼が死ぬきっかけを作った東高空手部との弔い合戦へと向かう。彼にはそれしかチェドキに応えるすべが無い。朝鮮と日本、両者はまたしても川を挟んで向き合い、やがて決戦へと突入する。しかし意外なところに救いはあった。看護婦となったガンジャが、彼の別れた元の恋人である桃子の出産が近いことを告げる。ケンカを抜け出して病院へと走るアリソン。新しい命の誕生。彼もまた希望を得、何かを乗り越えていく。

 ・・・あれ、いつの間にかトークショーが吹っ飛んじゃいましたが、まぁ、井筒監督の言いたいことと、そう違いはないと思っております。

 未来に何の希望も見出せない在日朝鮮人の若者と、未来に不安も無い代わりに願望もない日本人の若者。同じ土地に生きながらまったく違う世界で生きる両者が、それぞれに立ちはだかる何かを「パッチギ」、成長してゆく。いつの日か彼らが河を渡れる日が来ることを祈ろう、そんな気にさせる作品だ。

 トークショー後、受付付近で監督がサインに応じていたので、ミーハーな僕はすかさずパンフを買い求め、サインをもらった。サインをしながら「みんなに薦めてくださいよ」と監督。「はい、もちろん!」と調子のいい僕。だからというわけじゃないけれど、いい映画ですからみなさん、見ましょう!

 監督、宣伝しましたよぉ! これでいいですか? (って、見てるわけねーじゃん)
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by redhills | 2005-02-27 02:37 | 映画

●パッチギ! その2-井筒監督トークショー(ネタバレ注意!)

 2時間の上映が終わると共に会場からは拍手が起こる。当て推量だけど、2~3割くらいが在日の人なんじゃないだろうか。感動のオーラが会場を包んでいい感じ。

 すぐにスクリーンの前に椅子が用意される。期待と緊張が高まる。やがて井筒監督の名が呼ばれる。拍手の中、僕らと同じ後ろの入り口からトットットッとステップを降りて登場。見た感じは、ま、テレビなんかのまんまだ。

 始めに監督からちょっとしたお話。この作品を作るきっかけが前作『ゲロッパ!』の台本で悩んでいるときにプロデューサーから紹介された本(「少年Mのイムジン河」松山猛著)だったことなど。しゃべっている様子はテレビと違って、ちょぼちょぼと語る。「それでですね、僕はですね・・・」テレビだと怒鳴り口調で、なんかケンカ売ってるみたいだけど、今回は若い人が多いということもあるのだろう、わかりやすく語りかけるような感じ。

 質疑応答に入る。最前列の在日少女軍団がすごいアピール! で、当然のごとくその中の一人が指名される。と、マイクが向けられる前に「撮っていて一番苦労したのはどのシーンですか!」と大声で聞く。元気があってよろしい。監督が「それはですね・・・」と答え始めたところで司会役の劇場の方が「なんていうダイレクトトークだ! 今の質問は『一番苦労したのはどのシーンですか』という質問でした」と、あわてて割って入る。それくらいにスムースな、熱い雰囲気があったわけです。
 肝心の監督の答えは、最後のクライマックスである、鴨川での大乱闘シーンだったとのこと。朝鮮側30人、日本側70人(こちらには大阪からの援軍が来ている状況)、計100人の高校生が両岸から川に飛び込み、中州で激突するというシーン。監督だけでは演出の手が足りるわけが無く、8人の助監督と手分けをしてチーム単位で演技をつけていったが、なかなか決まらず、テストだけで2日を要したとのこと。複数のカメラを同時に回しいっぺんに撮るので1人の失敗でも撮り直しとなってしまうため、簡単に本番とはいかないのだ。夜のシーンだが合計1000キロワットという強力なライトを使って昼間のように明るくした上でカメラの露出を絞って暗く撮影した。ただでさえ観光客の多いところなのに、夜中にこうこうと明るくしているので大変な人だかりだったそうだ。渋る京都府警を説得して、3日目にやっとオーケーが出たそうな。

 他には、やはり在日朝鮮人の問題についての質問が出た。(以下ネタバレします!)主人公の康介は川向こうでフルートの練習をしているキョンジャを見つけ、いてもたってもいられずに川に飛び込んで向こう岸まで渡っていく。「つきおうてくれへんか?」と告白する康介に、キョンジャは問う。「もしも結婚することになったら、朝鮮人になれる?
 康介は答えない。正確にはどう答えようかというところで場面が変わってしまう。質問した人は雑誌の編集者で、「これはその答えを観客の想像に任せたということでしょうか」と言っていたが、監督は答えなかった。しかし、それは監督が答えるのを拒否したのではない。すでに監督は明確に答えている。それはイエスでもノーでもない。康介には答えられないのだ。つまり、映像そのままが答えなのだ

 ではなぜ康介は答えられないのか。

 ここは映画全体ともつながるとても重要なシーンなのでもう少し掘り下げてみようと思う。 (続く)
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by redhills | 2005-02-27 01:44 | 映画



赤坂日記・・・赤坂在住の"Akasakan" リトルが、東京のへそで日々の思いを綴る。
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