昨晩は夕食のあと数時間本を読んだ。
ある事情から必要に迫られて村上春樹の「羊をめぐる冒険」の下巻を読む僕の隣のテーブルには1人の若い女と3人のそれよりは少し年上の男がいて、軽い食事やビールを取りながらなにやら楽しげに話しこんでいた。 店は適度に賑わっていた。目抜き通りに面しており、バーというよりはカフェに酒や軽食が出るというタイプの店のため、赤ら顔の2、3人が最後の一杯を引っ掛けに来ているほかは、打ち合わせに利用している客が多いようだった。近くにテレビ局があるせいかいかにもそれらしい一団が目の前で大きなノートや画集を広げて話し合っていて、1人が場を仕切りながら時折凄い勢いでなにやら紙の余白に書き込んでいる。 隣のテーブルの1人の女と3人の男は、4人で話したり、2人の2組に分かれたり、常連らしく注文を取りに来た店長や店員を呼び止めてちょっと談笑したり、メニューにない料理を注文したりしていた。若い女は顔も体型もスラリとしていてスッキリと上品な感じだった。髪は後ろにまとめていて、時々笑い声を立てながら手を叩いたり目を丸くしたりしていた。ややハスキーな低い声が黒のスーツやオレンジ色の照明にひどく合っていた。 僕は時々何という気は無しに耳に入ってくる4人の会話に注意をしてみた。彼らが僕の隣にいた4時間余りの間、他のテーブルの客たちの話し声や店内を歩き回る黒い制服を着た店員たちの「いらっしゃいませ」という掛け声や流れているインストゥルメンタルの「When My Guitar Gentry Weeps」やらが醸し出すざわつきの中、会話はとぎれとぎれに聞こえてきた。4時間の間4人はそれこそ間断なく話し続けていた。 でも不思議なことに、僕には彼らが何について話しているのか何一つわからなかった。彼らは終始楽しげで唯一池尻大橋だとか下北沢だとかいった地名は聞き取れた。けれども結局何を話しているのかその想像すらできなかった。僕はなにやら不思議な気持ちになった。 こうして書いているこの文は明らかに村上春樹の影響を受けている。まるで「村上春樹R」とすかしの入ったノートに書き込んでいるような気持ちになる。「ノルウェイの森」から「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」そして「羊をめぐる冒険」と来たわけだけれども、それはまるで晩秋の並木道を歩くようだった。 金色に染められた道の上を、積み上げられた無数のイチョウの葉を靴の下に1枚1枚感じながらゆっくりと歩いているような気がした。 そんな、全文に贅沢に敷き詰められた比喩表現を味わいながら僕は読み続けた。 #
by redhills
| 2007-06-13 06:17
| 日記
実はJホラーなるものはほとんど観た事が無い。
さすがに「リング」は観た(テレビでだけど)。 今回、知人のお誘いで黒沢清監督の最新作「叫(さけび)」を観る機会があった。 いささか食わず嫌いで映画自体にそれほどそそられはしなかったのだが、上映後、監督によるティーチイン(質疑応答)があるというのにつられて行くことにした。 (以下はその感想ですが、丁寧に筋を追うこともしないし、ネタバレもするのでご容赦を) 一言で言って、「貧血映画」だなあ、と思った。血の気が全く無い。血の気をすぅーっと失せさせる映画。ま、ホラーなんだから当然か。 主人公の刑事(役所広司)の住むアパートや東京湾など、全体がとにかく青い。青くぼうっとしている。 そのなかで、赤い服の女(葉月里緒菜)だけが赤い。 だが、それはけして血の色ではない。なにせ、幽霊である。血など一滴も流れて無い。その彼女だけが赤いのだが、顔など真っ白で、実は一番「青い」のがこの赤い服の女だったりする。 最初に出てくる東京湾の遠景にひどく違和感があった。事前に何も知らないで観たのだが、もしもレインボーブリッジと思しきものがなかったら、東京には見えなかったと思う。それくらい、見覚えの無い東京だった。 これはほぼ間違いなく、監督はワザとやっている。 そう、刑事の住む家の青い壁や、彼の勤務する警察署の天井の高さや取調室の不必要なまでの広さを見ながら確信した。 それらの、東京ではない東京を見ながら、ある映画監督を思い出した。キム・ギドクだ。 僕は韓国人の監督の中では彼とポン・ジュノが好みだが(彼について以前ここに書いた)、彼の描く世界同様、この映画で描かれるのは異世界としての東京だ。 この異世界東京はまた、ある映画を連想させた。 雨月物語だ。 溝口健二監督の最高傑作は、日本古来の幽玄の美と恐ろしさを世界に知らしめたが、Jホラー作家の中で少なくとも黒沢監督は、その衣鉢を継いでいると感じられた。 いわば、この非現実感、超常感、不条理感は伝統的なのだ。 物の怪とは知らずに一緒に生活する、というのも共通しているし。 また、主人公の追い込まれていく様子はカフカ的でもある。 ある朝、赤い服の女が殺される。その事件を捜査する主人公は、会ったことも無いその女の殺人の容疑者になってしまい追い詰められていくわけだが、彼の元に死んでいるはずの赤い服を着た女が現れるようになる。同じ手口で第二、第三の殺人が起きる中、不明だったその女の身元もようやく判明し、容疑者も彼自らが逮捕する。他の事件の容疑者も別人が特定され、一件落着かと思われたが、家に帰ると赤い服の女はまた現れる。主人公は混乱する。いったいお前は誰なんだ。女は答えない。まあ、そう来なくちゃ面白くないしそれを論じる気も無いのだが、彼は気狂いじみた執念で謎に迫り、ついに女のいる(もしくはいた)場所へと足を踏み入れる。そこで彼は彼女の悲しみに触れ、彼女を「見つけた」唯一の者として「許される」。アー、良かった。これで幽霊さんも無事成仏して役所さんも腐れ縁の小西真奈美ちゃんと安心してまったりできるね、と思うがそうはならない。赤い服の女の骨を詰めたバッグを手に家に帰った男はそこで、自分がとうの昔に同棲相手の女を殺していたことを知る。あら、そうだったのね。許しを請う男にまったく怨み言を言わない女。恨まない幽霊さん。ここもポイントなんでしょう。 女(の霊)との別れを経て、男は家を出る。 ここで、アッと思った。 見覚えのある東京が出てきた。 男が交差点を横切っていくだけなのだが、あの東京は僕の居る東京だった。 つまり、男は帰ってきたわけだ。 この世界に。 監督自身は「終わりがしっかり出来なくて。エンディングらしきものも撮ったんですが結局切っちゃいました」とおっしゃってましたが、僕にはしっかりと物語のおわりが感じられました。大仕掛けといえるようなシーンは1つか2つで、全体的に丁寧な作り。なるほど、これがJホラーなんだなあ、と感じた次第。 上映後の監督ティーチイン。出た質問と監督の答え(と自分の反応)はこんな感じ。 Q以前にも幽霊に赤い服を着せていたが、監督の赤い服へのこだわりとは? A特に無い。服の色に意味は込めてない。白は貞子だし黒や緑は前にやったし、黄色にしたかったけど他にあるし、じゃあ前にやったけど赤にしようか、という感じ(ふーん)。 Q普通は幽霊を見た人が叫ぶのにこの映画は幽霊のほうが叫ぶのが面白い。この発想はどこから? A幽霊といえば「うらめしや」が決まり文句だけど、何か別な言葉を言わせたかった。貞子なんか一言もしゃべんないし最近は黙ってる幽霊が多くて。いろいろと幽霊の常識を覆したかった。そこでいろいろ考えたんだけど思いつかなくて叫ばせることにした。最初は「キャー」じゃなくて「ヒィー」っていうのがプロデューサーのリクエストだったんだけど、口を大きく開けてっていう見た目のリクエストからして、それは無理ですよ、と。音をとるか、見た目をとるかでもめたんだけど、結局見た目を取った。出来は楳図かずおチックになりました(納得!これは、赤い服の女のメークや表情、男に迫っていく時の手のポーズなんかからも強烈に伝わってきた)。 Q主人公の相棒の刑事が死にますけど、彼は赤い服の女と何の因果も無いのでは? A確かにその通り。なぜ彼が死んだのかという説明は一切無い。まず意図としては、作品中に「これはホラーなんだ」という強烈なシーンを入れたかった。それから、彼が死んだ理由ですが、一般人が踏み込んではならない場所に不用意に入り込んだらこうなるよ、というイメージです。あのシーンは最初引っ張り込まれるというシナリオだったんだけど、撮っていくうちに押し込まれる、というように変わった。多重撮影して後から合成したんだけど、想像以上に「うわー」な出来になりました(納得!自分もあのシーンはホラーらしい売り物シーンなんだろうと思った)。 Q第二の殺人の容疑者の男がビルから飛び降りる場面がありますが、あれはどうやって撮ったのか? A実際には数メートル下にクレーンで大きなマットを吊ってそこに飛び降りたんだけど、それでもかなり恐かったらしい。飛び降りるところ、飛んでいる途中、地面に落ちるところ、それぞれ別に撮ってうまくつなげました。1日がかりでした。こういうところにカネや手間がかかってます(ふむふむ。確かにあそこはフィルムが途切れて無い様に見えて自分もオッと思ったな)。 Q見た限りでは主人公は一向に許されていないように感じたが? Aおっしゃるとおり。みなさん、観終わってもすっきりしないと思う。実は自分がここで込めたのは「許されるつらさ」。彼が殺してしまった女は彼に怨み言一つ言わないし、そもそも怨んでないわけですが、ふと、許されないよりも許される方がつらいんじゃないか、しんどいんじゃないか、と思ったわけです。彼が女を殺した動機は、劇中にも出てきましたが「一切を無しにしたかったから」です。ズルズルと続いてしまっている関係、確かに神経使わないけれど面倒でもあるわけで、ある時にそれを精算したくなったということです。でも、清算したつもりでもその結果はもっとつらいものになるんじゃないかな、と(鋭い質問。監督の答えにも納得。自分も「許されるつらさ」を感じた。)。 自分も1つ聞きたくて手をあげたのだが、残念ながら指名されなかった。劇中何度も起きる地震は何の象徴なのか、教えて欲しかったんだが。でも映画も質疑応答もとても面白かった。 Oさん、ありがとう! #
by redhills
| 2007-03-29 20:56
| 映画
わかっちゃいるけど、植木等が死んだ。
何がわかっちゃいるって、人はいずれは死ぬってこと。 わかっちゃいるくせに書くのが2日も遅れたのはその日いろいろあったから。 まず帰り道で夕飯を食べに立ち寄ったラーメン屋で高校の同級生にバッタリ会った。 何年ぶりかわからないくらい久しぶりだった。 そのくせメールのやりとりは続いていてつい先日も会社(実はこれも自分が勤めてたのと同じ会社)をやめて外資系の会社に転職したという連絡をもらっていた。 そういえば会社、赤坂にあるって書いてあったな。 彼が1人でなかったこともあり食べながら15分くらい話しただけで今度飲もうということで別れた。 それにしても本当に偶然とはこわいもんだ。 何がこわいってその前に自分は郵便ポストを探して赤坂近辺をウロウロしていた。 その時は別の店に入るつもりだった。 それが何となく入ったら空いていた席の隣に(正確には彼の連れを挟んで)彼がいた。 いやー、こわいねえ。こわいこわい。 そう思いながら家についてテレビをつけたら植木等の顔が映っていた。 自分はケーブルテレビなどで映画やスポーツを見る以外はあまりテレビを見ない。 それがテレビをつけたのには訳があった。 10時にその番組は始まった。 宮崎駿はマスコミ嫌いで知られる。 彼とスタジオジブリが有名になればなるほどますます彼はマスコミが嫌いになった。 アニメを見るとバカになる。 こんなモノに大騒ぎして本当に日本の行く末が心配だ。 そう真顔でいう気難しいオヤジである。 それがテレビの取材を許可した。しかも100日間という長期取材。 ディレクターが1人だけでハンドカメラでならという条件つきだが。 超1流のクリエイターがどうやって創造するのか。これを見ないわけにはいかない。 脳みそに釣り糸を垂れる。 始まっちゃったなあ映画づくりが。 今まで沢山書いたのは現象で今書いたのが本質。 映画はそういう時間にできるんだよ。 頭をかきむしってダメだとうめいて書きかけを破り捨てたり立派なおヒゲねという子どもにどういたしましてと声をかけたりもういいだろうと取材を追い払ったり。 1人の人間の喜怒哀楽に大いに共感した。 孤独から作品は生まれる。創造の源は自分の中にある。 つまりはそういうことなんだよなあ。 もう1つ瀬戸内の高台から望んだ海の景色が素晴らしかったのは発見だった。 瀬戸内って内海だから面白みが無いってイメージがあったけど全然違う。 ラピュタこそ頂点だと思っている者としては「崖の上のポニョ」は久しぶりに期待できそうな気がした。 息子への贖罪の思いが彼の創造の邪魔をしなければという前提だけど「ゲド戦記」を見たときの彼の狼狽振りを見ていればその恐れは低いのではないかと思うし。 いやあおもしろかった。1時間があっというまだったよ。 終わったあとも映画作りについてあれこれ考えてた。 だからって植木等の死について書くのが遅れた言い訳にはならない。 んなこと、わかってらあ。 ハイ、それまでよ。 #
by redhills
| 2007-03-29 19:36
| 日記
さて、対岸のマドリーを見ていたら突然こちらにも火の手が上がりましたねえ。びっくりです。
膝の大怪我から、必死のリハビリで予定より2ヶ月も早く驚異の復帰を果たしたサミュエル・エトオさんがやってくれました(笑)。 週末のラシン戦での残り5分、ライカールト監督がカンプ・ノウのファンの前で復帰させようとしたのを拒み、返す刀で監督やロナウジーニョを大批判、おまけにチーム内に2つの派閥があり自分はその板ばさみとなって損な役回りだ、とメディアの前でぶちまけちゃいました。をいをい…。 いやはや、困ったもんです。彼には、2シーズン前のリーグ優勝の際、以前自分が在籍していたマドリーを侮辱するような言動をして非難を招き、後日謝罪するはめに陥ったという前科があるのですが、どうも精神的に未熟な面があるようです。 まあそもそも、デランテロ(スペイン語でフォワード)はサッカーでも最も攻撃的であらねばならないポジションであり、少しくらい利己的でわがままなくらいがちょうど良いとも言えるのですが、(その点、W杯で不可解なプレーを見せた日本のY選手などは甚だ不満が残るところです)、彼も問題を起こすのはこれで2度目です。大怪我から復帰したばかりで不安もあり、ストレスも溜まっていたのでしょうが、もう少し自分の発言がどんな結果を引き起こすのかにも気を回して欲しいものです。この点、チームの第2キャプテンを務めるロナウジーニョはずっとオトナな対応ができるんですが…。 案の定、彼の爆弾発言は世界中のメディアの格好の餌食となってしまいました。バルセロナで内紛勃発、閉ざされたロッカールームの実態が明らかに、実は仲が悪かったロニーとエトオ、果てはエトオ、アーセナルへ移籍か、という飛ばし記事も出る始末。チャンピオンズリーグの再会も間近に迫りリーグも佳境、大事な山場にさしかかったこの時期に突然降ってわいた騒動に、我がバルサの結束が問われました。 だがしかし。さすがはビッグクラブの中でもまとまりの良さでは群を抜くバルサ。まずはラポルタ会長がエトオと話し合い彼の行動に理解を示すと、今度はライカールトとも会談。そしてライカールトとベギリスタイン(テクニカル・ディレクター)が記者会見を行い、ライカールトの方から、エトオには今回の件で一切の処分をしないようクラブ側に求めたことを表明しました。見事な危機管理です。 では実際のところ選手達の間はどうなのだろうか、現場は元に戻ったのだろうか、それを見極めようとメディアが殺到する中行われた公式公開練習。もちろん、注目を浴びたのはエトオとロナウジーニョでした。クラブも充分にそのことは承知の上。練習開始時間を30分遅らせました。まずライカールトから選手たちに説明があり、その後選手たちの間で話し合いが行われたようです。揉め事が起きてもオープンにして話し合って解決してゆく。素晴らしいです。そして練習場に現れた二人は…、こうなりました。 もちろん、エトオもロニーも感情を持った1人の人間ですから思うところはあるでしょう。でも、それを乗り越えて行けるだけの力が2人には、バルサにはある。そう信じたいところです。この騒動が本当に過去のものとなったのかどうかは、これからの試合内容が示してくれることでしょう。 #
by redhills
| 2007-02-16 15:33
| サッカー
某大臣による「女性は子供を産む機械」という発言が問題になっている。
安倍政権の年の瀬を襲った政治資金問題(大臣1人辞任)を、参議院副議長スキャンダルで打ち消してヤレヤレと思った矢先の、この騒動。野党はこれを奇貨として、同盟国を批判しまくる愉快な防衛大臣とセットに、開会したばかりの通常国会で攻勢に出る構えだ。 まあ、与野党の攻防は毎度のことなんで余り興味はわかないけど、この「産む機械」発言はなかなか隅に置けないものがあると思う。 なにせ、発言したのが少子化問題を所管している「厚生労働大臣」。 しかも、公的な会合で、少子化問題をどうするか話している中での発言だというのだから恐れ入る。 少子高齢化とか、出生率とか、人口減少とか、そういった問題を数字のみで考えているとこうなるのだろうか。 もちろん、一国の活力の源泉としての人口動態の変化は、長期的政策の根幹となる重要指標であることは言うまでも無い。 でも…一人一人の国民は、女性は、単なる数字じゃない。 そんなこと、分かってるはずなんだけど。 どうも、分かってないらしいんだよね、こういう発言聞くと。 何が分からんって、それが一番分からんところ。 ちなみに嫌味半分に言っておくと、このお方、東大卒の元大蔵官僚です。 わが国のエリートよ、しっかりしてくださいね。 #
by redhills
| 2007-02-01 16:51
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